エメラルドグリーンの海が見たくて5
2007年12月13日 連載 コメント (5) 挙式は滞りなく執り行われた。披露宴には、新郎の大学の同好会の同期が全員出席した。余興のとりを務めるのは、その同好会の男衆だった。それは、同好会時代に飲み会のあと、毎回必ず加茂川の河原でやっていたエールだった。
「誠に請謁ながら、私、村田義弘がエールを切らせていただきます。」
「おーい」
「黎明清き白石の」
「おーい」
「比叡おろしを背に受けて」
「おーい」
「見よ享楽の岸に立つ」
「おーい」
「学徒の胸に響きあり」
「おーい」
(中略)
「フレー、フレー、恵ちゃん」
「フレーフレー恵ちゃん、フレーフレー恵ちゃん」
「フレー、フレー、孝夫」
「フレーフレー孝夫、フレーフレー孝夫」
すずは、その余興を見ながらまた涙した。このようにまたエールを見ることができるとは思っていなかった。懐かしかった。そして嬉しかった。涙を流しながら小声で一緒にエールを歌った。
三次会の居酒屋「くれない」は、オールで飲み会だった。新郎新婦は三次会まで出席してくれていた。懐かしい話に花が咲いた。すずは、ビールグラスを4,5杯空かす程度だったので、酔いつぶれることなく明けがたまで起きていた。朝5時になって、京阪電車の始発が運行するようになったので、いつものように河原でエールを切って解散した。新しいロマンスを期待していたすずであったが、残念ながらその会においてはなかった。
「誠に請謁ながら、私、村田義弘がエールを切らせていただきます。」
「おーい」
「黎明清き白石の」
「おーい」
「比叡おろしを背に受けて」
「おーい」
「見よ享楽の岸に立つ」
「おーい」
「学徒の胸に響きあり」
「おーい」
(中略)
「フレー、フレー、恵ちゃん」
「フレーフレー恵ちゃん、フレーフレー恵ちゃん」
「フレー、フレー、孝夫」
「フレーフレー孝夫、フレーフレー孝夫」
すずは、その余興を見ながらまた涙した。このようにまたエールを見ることができるとは思っていなかった。懐かしかった。そして嬉しかった。涙を流しながら小声で一緒にエールを歌った。
三次会の居酒屋「くれない」は、オールで飲み会だった。新郎新婦は三次会まで出席してくれていた。懐かしい話に花が咲いた。すずは、ビールグラスを4,5杯空かす程度だったので、酔いつぶれることなく明けがたまで起きていた。朝5時になって、京阪電車の始発が運行するようになったので、いつものように河原でエールを切って解散した。新しいロマンスを期待していたすずであったが、残念ながらその会においてはなかった。
エメラルドグリーンの海が見たくて4
2007年12月12日 連載 翌日、京都駅で同期の女の子三人と11時に待ち合わせをした。すずは10分前に着いた。一番乗りだった。11時を過ぎてもいっこうに他の人は来なかった。5年ぶりに会う同期だ。外見や髪型も変わっていることだろう。判別できるかどうかの一抹の不安と、必ず見分けられるという自信が半分づつあった。そうこうしているうち、携帯電話が鳴った。
「すず、今どこ。」
昔よく聞いた京都弁だ。千里だ。
「京都駅の改札の前。」
「今行く。」
しばらくして、また千里から電話がかかった。
「どこかわからへん。」
それもそうだろう。人が多すぎる。
千里とすずは連絡を取り合いながら、なんとか落ち合った。他の二人も20分遅れで集合できた。三人とも髪型こそ多少変わってはいたが、昔と大して変化はなかった。すずは友人達との久々の再会に、じんわり涙が出た。
「すず、どうしたん。あはは、おかしいで。」
「だって。」
「泣いたらあかん。」
京都の地を踏みしめた時から、本当は泣きたかった。嬉しくて。来たくて来たくてたまらなかった。少しだけ泣いて、すずは笑顔で言った。
「みんな、変わってないね。元気だった。」
挙式から参加した。
「すず、今どこ。」
昔よく聞いた京都弁だ。千里だ。
「京都駅の改札の前。」
「今行く。」
しばらくして、また千里から電話がかかった。
「どこかわからへん。」
それもそうだろう。人が多すぎる。
千里とすずは連絡を取り合いながら、なんとか落ち合った。他の二人も20分遅れで集合できた。三人とも髪型こそ多少変わってはいたが、昔と大して変化はなかった。すずは友人達との久々の再会に、じんわり涙が出た。
「すず、どうしたん。あはは、おかしいで。」
「だって。」
「泣いたらあかん。」
京都の地を踏みしめた時から、本当は泣きたかった。嬉しくて。来たくて来たくてたまらなかった。少しだけ泣いて、すずは笑顔で言った。
「みんな、変わってないね。元気だった。」
挙式から参加した。
エメラルドグリーンの海が見たくて3
2007年12月12日 連載何分かおきに、同じような光景が見えるのだ。同じ場所を繰り返しているような感覚に陥る。早くトンネルに入らないかな。トンネルに入れば、確実に京都に近づいていることが分かるのに。同じような夜景が何度も続いた後、やっと例のトンネルに入ったので、すずは落ち着いた。やっぱり気のせいだ。終わらない夜がないように、来ない朝がないように、確実に「のぞみ」は名古屋から京都へと距離を縮めていたのだ。すずが、京都の地を踏むのは4年ぶりだった。
京都のホテルには夜七時過ぎにチェックインした。ホテルといってもビジネスホテルだ。夕食は京都駅ビルの伊勢丹で、半額で買った弁当を食べた。久しぶりの京都の地に感傷に浸る余裕もなく、その日は風呂に入りすぐに寝た。次の日は正午に友人の挙式だ。
京都のホテルには夜七時過ぎにチェックインした。ホテルといってもビジネスホテルだ。夕食は京都駅ビルの伊勢丹で、半額で買った弁当を食べた。久しぶりの京都の地に感傷に浸る余裕もなく、その日は風呂に入りすぐに寝た。次の日は正午に友人の挙式だ。
エメラルドグリーンの海が見たくて2
2007年12月11日 そんなすずが、友人の結婚式に招かれた。その友人というのはすずの大学時代の同好会の男の子だ。かつてすずは京都にある大学に通っていた。卒業はしていない。八年通ったあげく中退した。そんなすずにも同好会の皆は優しく接してくれた。すずの居場所を作ってくれた。同好会の皆はすずにとってとてもかけがえのない存在だった。
京都に向かうのに、すずは関西国際空港や伊丹空港ではなく、中部セントレア国際空港を利用した。名古屋観光もしてみたかったからだ。名古屋城を見た後、名古屋駅から新幹線で京都へと向かった。師走の夕刻あたりは暗く、新幹線の車窓からはちらちらとネオンが見えた。
えっ。すずは驚いた。デジャブ。さっきも見た、この光景。なんか、恐い。私、ほんとに京都にたどり着けるの。すずは恐ろしくなった。何分かおきに、同じような光景が見えるのだ。同じ場所を繰り返しているような感覚に陥る。早くトンネルに入らないかな。トンネルに入れば、確実に京都に近づいてることが分かるのに。
京都に向かうのに、すずは関西国際空港や伊丹空港ではなく、中部セントレア国際空港を利用した。名古屋観光もしてみたかったからだ。名古屋城を見た後、名古屋駅から新幹線で京都へと向かった。師走の夕刻あたりは暗く、新幹線の車窓からはちらちらとネオンが見えた。
えっ。すずは驚いた。デジャブ。さっきも見た、この光景。なんか、恐い。私、ほんとに京都にたどり着けるの。すずは恐ろしくなった。何分かおきに、同じような光景が見えるのだ。同じ場所を繰り返しているような感覚に陥る。早くトンネルに入らないかな。トンネルに入れば、確実に京都に近づいてることが分かるのに。
エメラルドグリーンの海が見たくて1
2007年12月6日 連載 コメント (1) こんなに夕日が悲しいのは、すずにとって初めてだった。原動付きに乗りながら、家路へと向かっている時のことだ。師走の初めだが、気温は18度ぐらいで風もそんなに強くない。自分のキャパシティーのうち1割もうまくいってはいない。周りの人間が恐い。こうして一人で原付に乗っている時でさえ、自分を取り巻く人間が自分を陥れようとたくらんでいるように感じてしまう。対人恐怖症。なんとか家にたどり着いた。
心臓の鼓動が少しばかり速くなったようだ。そんな時、上手く切り替える方法を、すずはまだ知らなかった。心筋梗塞。脳卒中。いろいろな病名がすずの頭をよぎった。自分は近いうち死ぬかもしれない。そうすずは予感した。
すずの叔母は小学校の校長をしていた。その叔母からは、
「あんたは、中学高校と温室で育ったから、世の中というのを分かってないのよ。」
と、指摘された。すずは、その意味がよく飲み込めなかった。温室は温室なりに辛酸味わった、と反抗したかった。しかし、叔母の言うとおり、すずの視野は狭く世の中をよく見ていなかったのだ。家庭に問題があったのか、教育に問題があったのか、生まれつきすずの能力の問題なのか、確かなことは分からない。何かを非難することはできない。すずが自分で乗り越えて行くしかない。本当は、それを周囲は見守っているはずなのだ。時には助言で、あるいは行動で、何かしらの手を差し伸べている。それをすずがどう受け止めて前に進むかが問題なのだ。
私は家族、親戚を始め周囲の人にたくさん迷惑をかけてきた。
その人たちに恩返しがしたい。
そのためには私が元気になるしかない。
すずは、物を片付けることが幼少から不得手だった。小学生の頃、小さなロッカーの中は乱雑に物で溢れており、担任の宮城先生から家族に便りを持たされる羽目になった。自分のロッカーだけ汚いことに恥じたすずは、便りを母の美鈴に渡すのをやめ、次の日には全部捨ててしまった。捨てたものというのは、粘土細工、細かく折れたクレパス、セーター、絵の具セット、点数のあまり良くないテストなど。
こんなに夕日が悲しいのは、すずにとって初めてだった。
心臓の鼓動が少しばかり速くなったようだ。そんな時、上手く切り替える方法を、すずはまだ知らなかった。心筋梗塞。脳卒中。いろいろな病名がすずの頭をよぎった。自分は近いうち死ぬかもしれない。そうすずは予感した。
すずの叔母は小学校の校長をしていた。その叔母からは、
「あんたは、中学高校と温室で育ったから、世の中というのを分かってないのよ。」
と、指摘された。すずは、その意味がよく飲み込めなかった。温室は温室なりに辛酸味わった、と反抗したかった。しかし、叔母の言うとおり、すずの視野は狭く世の中をよく見ていなかったのだ。家庭に問題があったのか、教育に問題があったのか、生まれつきすずの能力の問題なのか、確かなことは分からない。何かを非難することはできない。すずが自分で乗り越えて行くしかない。本当は、それを周囲は見守っているはずなのだ。時には助言で、あるいは行動で、何かしらの手を差し伸べている。それをすずがどう受け止めて前に進むかが問題なのだ。
私は家族、親戚を始め周囲の人にたくさん迷惑をかけてきた。
その人たちに恩返しがしたい。
そのためには私が元気になるしかない。
すずは、物を片付けることが幼少から不得手だった。小学生の頃、小さなロッカーの中は乱雑に物で溢れており、担任の宮城先生から家族に便りを持たされる羽目になった。自分のロッカーだけ汚いことに恥じたすずは、便りを母の美鈴に渡すのをやめ、次の日には全部捨ててしまった。捨てたものというのは、粘土細工、細かく折れたクレパス、セーター、絵の具セット、点数のあまり良くないテストなど。
こんなに夕日が悲しいのは、すずにとって初めてだった。